1978年、日本の電子楽器メーカーKORGから、一台のシンセサイザーが発売されました。 「MS-20」。 その黒く武骨なボディ、複雑に絡み合うパッチケーブル、そして何より、スピーカーを震わせる「叫ぶような」サウンドは、瞬く間に世界中のミュージシャンを魅了しました。 Aphex Twin、Daft Punk、Chemical Brothers…数え切れないほどの伝説的なトラックで、その音を聴くことができます。
そして現代。 フランスのArturia社が、そのMS-20を独自の技術でソフトウェア化しました。 それが今回ご紹介する「Arturia KORG MS-20 V」 です。
「えっ、KORG公式からもソフトが出てるよね?」 「わざわざ後発のArturia版を買う意味はあるの?」
そう思う方も多いでしょう。しかし、断言します。 Arturia版には、Arturia版にしかない「明確な強み」があります。 それは単なる再現度(リアリティ)の話だけではありません。現代の音楽制作フローにおいて、MS-20という楽器をどう「進化」させるかという、Arturia独自の解釈が詰まっているからです。
本記事では、このArturia MS-20 V を、歴史的な背景から、KORG公式版との詳細な比較、そして初心者には難解な「パッチング」の具体的なレシピまで、1万文字を超えるボリュームで徹底的に解説します。 これを読み終わる頃には、あなたはもう、バーチャルなパッチケーブルを繋ぎたくてウズウズしているはずです。
Arturia MS-20 V
目次
Arturia MS-20 Vとは?:黒き野獣が現代のテクノロジーで再誕
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1978年の傑作:KORG MS-20の歴史的背景
MS-20 Vを理解するためには、まずオリジナルのMS-20について知る必要があります。 当時、Moogなどの海外製シンセサイザーは非常に高価で、一般のミュージシャンには高嶺の花でした。 そんな中、KORGは「安価で、かつ本格的な音作りができるシンセ」としてMS-20を世に送り出しました。 最大の特徴は、本体右側に配置された「パッチパネル」です。 これにより、ユーザーはケーブルを使って内部の配線を自由につなぎ変えることができ、他のシンセでは不可能な複雑な音作りが可能になりました。 この「自由度」と、独自の「叫ぶフィルター」が、後のテクノやハウスシーンで再評価され、神機としての地位を確立したのです。
Arturia独自の「TAE」技術による緻密な回路モデリング
Arturiaは、長年にわたりビンテージシンセのソフトウェア化を手掛けてきました。 その核となるのが、独自のモデリング技術「TAE (True Analog Emulation)」 です。 これは単に波形をサンプリングするのではなく、コンデンサーや抵抗といった電子パーツ単位で回路をシミュレートする技術です。 MS-20 Vにおいても、このTAE技術が遺憾なく発揮されています。 オシレーターの不安定な揺らぎ、フィルターを全開にした時の回路のサチュレーション(歪み)、エンベロープの微妙なカーブ…。 これらが完全に計算によって再現されているため、どんなに過激な設定にしても、実機同様の「有機的な反応」が返ってきます。
現代のDAW環境に最適化されたUIデザイン
実機のMS-20は縦長の筐体ですが、Arturia MS-20 Vは現代のワイドモニターに合わせてレイアウトが最適化されています。 メインパネル、シーケンサーパネル、エフェクトパネルがタブではなく、シームレスに展開できるようになっており、視認性は抜群です。 また、パッチケーブルの色を変えたり、マウスオーバーした時に「どこからどこへ繋がっているか」をハイライト表示する機能など、ソフトウェアならではの親切設計が随所に盛り込まれています。
VS KORG公式:なぜ後発のArturia版を選ぶ必要があるのか?
ここが最も気になるポイントでしょう。 本家のKORG自身がリリースしている「KORG Collection MS-20」と、Arturia版は何が違うのでしょうか。
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サウンドキャラクターの違い:Arturiaは「少しダーティーで太い」
両者を弾き比べてみると、明確なキャラクターの違いに気づきます。 KORG公式版は、非常にクリーンで優等生な音です。デジタル環境で扱いやすいよう、ノイズが抑えられ、ピッチも安定しています。 対してArturia版は、「少しダーティーで太い」 です。 実機の経年劣化や個体差まで含めて再現しているような印象で、低域に独特の「粘り」があり、高域にはアナログ特有の「ザラつき」があります。 特にフィルターを強烈にかけた時の「暴れ方」はArturia版の方が激しく、インダストリアルやハードテクノのような攻撃的なジャンルにはこちらが向いています。
GUIの操作性:パッチケーブルの視認性と扱いやすさ
パッチングの操作性においても、Arturia版に軍配が上がります。 ケーブルをドラッグした時に、接続可能なジャックが点灯して教えてくれる機能や、ケーブルの張力を調整して見やすくする機能など、初心者が迷わないための工夫が徹底されています。 また、GUIのサイズ変更(リサイズ)も自由自在で、4Kモニターでもぼやけることなくクッキリと表示されます。
統合されたシーケンサーとエフェクトの有無
決定的な違いは、付加機能です。 KORG公式版は「MS-20そのもの」を再現することに注力しているため、エフェクトや高度なシーケンサーはDAW側で補う必要があります。 一方、Arturia版は「MS-20が進化した姿」 を提案しています。 後述するSQ-10風のシーケンサーや、強力なディストーションを含むエフェクトラックが内蔵されており、これ一台で完結した音作りが可能です。
強烈な個性を放つ「叫ぶフィルター」とセミモジュラーの沼
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ハイパス&ローパス:強烈なレゾナンスによる自己発振
MS-20の心臓部は、なんといっても2つのフィルター(High Pass Filter / Low Pass Filter)です。 通常のシンセはLPFだけ搭載することが多いですが、MS-20はHPFとLPFを直列に繋ぐことで、独自の音作りを可能にしています。 そして最大の特徴は「自己発振(Self-Oscillation)」 です。 「Peak(レゾナンス)」ノブを右に回し切ると、入力音がなくてもフィルター自体が「ピーーー!」と発振し、サイン波のような音を出します。 これを「Cutoff」ノブで操作することで、まるで口笛のようなメロディを奏でたり、強烈なキックドラムを作ったりすることができます。 Arturia MS-20 Vは、この発振音が非常にリアルで、耳をつんざくような鋭さを持っています。
パッチング入門:ピンクノイズとS&Hで作るSEサウンド
「右側の穴だらけのパネル(パッチベイ)が怖くて触れない…」という方のために、簡単なレシピを紹介します。 SF映画のような「ピコピコ音(コンピュータ処理音)」を作ってみましょう。
パッチパネルの「Pink Noise」アウトを、「S&H(Sample & Hold) Input」に繋ぎます。
「Clock Generator」の「Out」を、「S&H Clock」に繋ぎます。
これでS&H回路が動きました。最後に「S&H Out」を、「Total (Frequency)」または「Cutoff」に繋ぎます。
鍵盤を押すと、ランダムな音程でピコピコと音が変化します!
このように、電気信号の流れを自分で設計できるのがセミモジュラーの醍醐味です。 教科書通りではない、自分だけの「偶然の産物」に出会える楽しさは、一度味わうと抜け出せません。
外部入力を加工するESPの面白さ
MS-20には「ESP (External Signal Processor)」という機能があります。 これは、マイクやギターなどの外部音声をシンセに入力し、MS-20のフィルターで加工したり、入力音のピッチ(音程)を検出してシンセを鳴らしたりする機能です。 Arturia版でもこれは健在です。 DAW上のドラムループをサイドチェーン入力としてMS-20 Vに送り、ESPセクションを通すことで、ドラムの音をトリガーにしてベースを鳴らす、といった変態的な使い方が可能です。
「V」だけの特権:6ボイス・ポリフォニックとSQ-10風シーケンサー
ここからは、実機にはないArturia版独自の機能です。
モノシンセの常識を覆す:凶悪なポリフォニック・パッド
実機のMS-20はモノフォニック(単音)ですが、Arturia MS-20 Vは最大6ボイスのポリフォニック に対応しています。 これは革命的です。 あの太くてダーティーなMS-20の音で、和音(コード)が弾けるのです。 2つのオシレーターを少しデチューンさせ、フィルターを少し開き気味にしてコードを弾くと、Prophet-5やJunoとは全く違う、荒涼とした、しかし圧倒的な存在感を持つパッドサウンドが生まれます。 「凶悪なパッド」という新しいジャンルが開拓できるレベルです。
3チャンネル・ステップシーケンサーでKRAFTWERKごっこ
MS-20 Vには、KORGのアナログシーケンサー「SQ-10」を模した、3チャンネル・ステップシーケンサーが内蔵されています。 A / B / C の3つのレーンがあり、それぞれで異なるパラメーターを制御できます。 例えば: ・チャンネルA:音程(Pitch)を制御 ・チャンネルB:フィルターの開き具合(Cutoff)を制御 ・チャンネルC:ノイズの量(Noise Level)を制御
これらを走らせれば、往年のテクノポップのような、機械的でミニマルなフレーズが一瞬で完成します。 DAWのピアノロールで打ち込むのとは全く違う、「ツマミを回してフレーズを作る」という快感を味わえます。
シーケンサーをモジュレーションソースとして使う裏技
さらに面白いのが、このシーケンサーの出力もパッチパネルに立ち上がっていることです。 つまり、シーケンサーの動きをLFOのように使って、パン(定位)を揺らしたり、エフェクトの深さを変えたりすることも可能です。 「1小節ごとにディストーションが深くなる」といった、時間軸に沿った音質の変化をオートメーションを書かずに実現できます。
音作りの幅を無限にするエフェクトとESP機能
直列・並列可能な4スロットFXラックの威力
Arturia製品共通の強みであるエフェクトラックも搭載されています。 直列(Series)接続で音を徹底的に作り込むことも、並列(Parallel)接続で原音の芯を残したままエフェクトを混ぜることも可能です。 収録されているエフェクトは16種類以上。 特に「JUN-6 Chorus」 (Juno-60のコーラス)をかけると、モノラルで武骨なMS-20の音が、一気にステレオ感のあるワイドなサウンドに化けます。
ディストーション+リバーブでインダストリアルな空間を作る
おすすめの組み合わせは「Distortion」→「Reverb」です。 MS-20 Vのフィルターで激しく歪ませた音に、さらにエフェクトでデジタルな歪みを加え、それを巨大なリバーブで包み込む。 これだけで、映画『ブレードランナー』や『マトリックス』のような、サイバーパンクで退廃的な世界観の音が出せます。 DAW付属のエフェクトでもできますが、シンセ内部で完結していることで、プリセットとして保存できるのが大きな利点です。
ドラムを突っ込んで破壊する!ESPの実践例
前述のESP機能ですが、DAW環境では「エフェクトプラグイン」としてMS-20 Vを使うこともできます(FX版が同梱されている場合や、サイドチェーン機能を使う場合)。 キックドラムのトラックにMS-20 Vのフィルターを通して、レゾナンスを全開にして発振音を混ぜると、フロアを揺るがすような超重低音キックが作れます。 これはハードスタイルやガバなどのジャンルでよく使われるテクニックですが、Arturia MS-20 Vなら配線不要で簡単に実験できます。
どんなジャンルに合う?MS-20 Vの実践的活用法
エレクトロ・ハウスのブリブリしたベースライン
Daft Punkの『Da Funk』のような、フィルターがウネウネと動くアシッドなベースラインは、MS-20 Vの最も得意とする分野です。 レゾナンスを高めに設定し、エンベロープでフィルターを開閉させるだけで、あの「ビヨビヨ」「ブリブリ」した音が飛び出してきます。
サイケデリック・トランスのねじれたリード
高速でピッチが変化するような、複雑な効果音的リード(FX Lead)も得意です。 パッチングでLFO速度をエンベロープで変調させたり、S&Hでランダムな音程変化を加えたりすることで、聴く人の脳を揺さぶるようなサイケデリックな音が作れます。
Lo-Fi Hip Hopの汚れたシンセコード
意外と思われるかもしれませんが、Lo-Fi系にも合います。 オシレーターのピッチを少し揺らし、ハイパスフィルターで低域をスカスカにし、ノイズを少し混ぜる。 そこにReverbを深めにかけると、まるで古いカセットテープから流れてくるような、哀愁漂うコードサウンドになります。 ポリフォニック機能があるからこそできる芸当です。
まとめ:扱いやすさと凶暴さを兼ね備えたMS-20の決定版
初心者にはパッチングの教科書として
「シンセの仕組みを基礎から学びたい」という人にとって、MS-20 Vは最高の教科書です。 信号の流れがレーベル(シルクスクリーン)で明記されており、ケーブルを繋ぐことで音がどう変わるかを視覚的・聴覚的に学べます。 失敗しても壊れることはありません。何度でもやり直せます。
上級者にはサウンドデザインの実験場として
既に実機を持っている上級者にとっても、Arturia MS-20 Vは魅力的です。 「実機でこのパッチングを試したいけど、ケーブルを抜くのが面倒だな…」という時、まずはVで試作し、確信を得てから実機で再現する。そんな使い方もできます。 そして何より、ライブパフォーマンスでMacBook一台でこの音が出せる機動性は、何物にも代えがたいメリットです。
Arturia MS-20 Vは、過去の名機へのリスペクトと、未来への挑戦が見事に融合したシンセサイザーです。 その黒いパネルの奥には、まだ誰も聴いたことのない音が眠っています。 さあ、パッチケーブルを手に取り、あなただけの「野獣の叫び」を見つけに行きましょう。
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